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長岡半太郎博士の危惧

2018年10月3日
 原子模型に関する論文で世界的に有名な長岡半太郎博士の若き日のエピソードだ。日本物理界の嚆矢(こうし)であり後に偉大な物理学者となる人は、進むべき道に悩んでいたという。

 明治20年頃、当時欧米の科学水準ははるか高みにあって、追い付くことなど到底、困難に思われた。「もしや東洋人は研究職に向いていないのではないか」。不安を抱いた博士は大学に休学届けを提出、あることを調査する(奥本大三郎著「虫から始まる文明論」)。

 集中豪雨、地震、火山噴火などの自然災害にさいなまれ続けている列島に届いた吉報は、台風24号被害の後片付けに追われている県内被災地の人々にも力になったのではないだろうか。2018年のノーベル医学生理学賞のニュースだ。

 がんの免疫治療薬開発に道を開いた本庶佑(ほんじょ・たすく)さんに授与が決まった。理由は「免疫反応のブレーキを解除することによるがん治療法の発見」。世界で年に何百万人もの命を奪うがんとの闘いで、本庶さんの発見に基づく治療法が著しく効果的である、と評価された。

 若き日の長岡博士が1年間、休学してまで調べたのは有史以来の中国における科学についての実績だった。それは天文観測機、雷電についての説明、火薬利用など枚挙にいとまなく不安は払しょくされ以後、研究者の道を迷わず歩んだ。

 湯川秀樹博士の随筆に基づく話だが、その湯川博士を含めて、日本の科学分野のノーベル賞受賞は本庶さんで23人目になる。これだけ先達がいて明治時代の人のような悩みを抱える日本人はいないだろう。さあ後に続け、若い研究者たちよ。

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