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待っていた百貨店マン

2018年9月24日
 日高啓(ひろし)さん(宮崎市出身)が、大学卒業と同時に大手百貨店・高島屋に入社したのは1948年。倉庫に行くと「日高」と大書された段ボール箱がたくさんあるので驚いた。

 「まるで自分を待っていたようだ」。とはいえ不思議に思って上司に尋ねると、単に「日本橋高島屋」の略だったという。まさか本当に自分の名前と信じたわけではないだろうが、社長になるまで転勤もなく勤め上げた日本橋店に運命的な出会いを感じた瞬間だ。

 自分史にも書いていないエピソードだが、上品な語り口によくそんなユーモアを交えていた。在京県人会会長を務めた日高さんが94歳で亡くなった。高島屋では積極的に本県物産展を開催し、まさに東京における本県の応援団長だった。

 自分史執筆の打ち合わせに日本橋高島屋の別館を訪ねた。応接間の壁に東山魁夷の絵がさりげなく掛けてあったので目を見張った。高島屋の文化事業が盛んだったのも日高さんの功績の一つ。宮崎市の父が絵描きの支援に熱心だったそうで影響があったのだろう。

 1831年の創業以来、創業者の直系以外から初めて社長の座に就いたのは1987年。「お客さまをまず第一に」というモットーを掲げて、順調に業績を拡大した。一番の痛恨事は96年、事件に巻き込まれて社長を退任したことだった。

 そのあたりの経緯も自分史で、と勧めたところ、しばらく考えて「関係者がまだいるので」と述べて結局触れなかった。すべて責任を負う姿勢を鮮明にした経営トップの気概。百貨店マンとして、出会う人すべてにサービス精神を全うした。

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