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肉牛日本一

2017年9月12日
 すき焼きの語源は鋤(すき)焼きで、もとは農具の鋤で牛肉を焼いたからという説が広く知られている。その真偽はともかく鋤で、焼くという調理法はだいぶ古くからあったらしい。

 天保年間の「鯨肉調味方」に「鯨肉は酒でといた味噌(みそ)または生醤油(きじょうゆ)をつけて鋤焼きにするとよい」とあり、鋤焼きは「古い鋤のよく磨(す)れて光っているのを火の上に置き、肉片をのせて焼くこと」と説明が添えられている(大塚滋著「カレーライスがやって来た」)。

 種牛と肉牛の改良の成果を競う全共宮城大会肉牛の部8区で、県勢が最高賞の内閣総理大臣賞を獲得した。8区は同じ種雄牛から生まれた去勢牛3頭を一組として枝肉の肉質を評価する、いわば肉牛の部の“団体戦”ともいえる区分だ。

 優れた精液を提供する種牛をつくる人がいて、子牛を産ませる生産農家がいて、その子牛を引き継ぎ、手塩にかける肥育農家の力が一つになって初めて手にできる栄誉。「日本一の牛づくり」にかける畜産関係者の情熱が上流から下流までつながった証明である。

 明治の世になって盛んに食べられた牛鍋は醤油やみりんで味付けした汁で牛肉やネギを煮たもの。明治天皇も食したとの記録が残るから、それなりに美味なものだったはずだが、まず明治の人には想像もできない宮崎牛のうまさだろう。

 畜産風に言えば鋤焼きと牛鍋が交配された料理が今のすき焼きなのだが、いつどのようにしてできたのかは分かっていない。好きだから「好き焼きなんだ」と言う人もいるが実感がこもったしゃれである。その気持ち、本日は特に分かる。

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