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差別と関係性

2017年5月15日
 講義中、いつも着物の懐に手を入れて聴いている学生がいる。怒った講師の夏目漱石はその学生を叱った。すると隣席の学生が言った。「先生、この人は手がないのです」。

 さっと顔色を失う漱石。教室も静まりかえる。学生の前から教壇に戻った漱石はしばらくうつむいていたが、顔を上げて言った。「失礼した。でも僕も毎日無い知恵を絞っているのだから、君もたまには無い腕を出してもよかろう」。教室は笑いに包まれたという。

 一部だけを抜き出せば差別的な表現があるかもしれない。しかし漱石に差別の意図がないのは明白で機知によって暗い雰囲気から救った。差別的とされる言動も関係性や文脈の中で許容される場合があることをこの逸話は教えてくれる。

 映画監督の原一男さんが福岡市での講演で、水俣病患者へ差別的な発言をしたとして問題になった。複数の参加者から指摘があり、本人も反省して水俣市でも謝罪したので行き過ぎたのは確かだろう。関係性があやふやな講演では発言には特に慎重であるべきだ。

 ただ原さんによるこれまでのドキュメンタリー映画は人間関係を重視する姿勢が鮮明で、差別とは開きを覚える。問題発言も水俣病の非人間性を文学的に強調したのではと思ってしまう。患者らとの対話を通して溝が埋まることを願う。

 少なくとも最近の人権意識に欠ける政治家の失言とは次元が違うはずだ。表現活動は期せずして人を傷つける。差別に関わる話題は最初から触れない方がまし、なのか。だが問題を遠ざけるほど、差別を助長することも肝に銘じていたい。

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