メンツ執着の検定審に不信感
太平洋戦争末期、住民を巻き込んだ唯一の地上戦となった沖縄戦での集団自決で、日本軍の強制があったとの記述を削除させた教科書検定問題は事実上の記述復活で一応の決着を見た。
教科書検定審議会が「日本軍により集団自決に追い込まれた」などとする教科書会社各社の訂正申請を承認、実質的に軍の強制記述を了承した形だ。
しかし、あくまで検定意見は撤回せず、実質的な記述復活でことを収めようとする検定審は教科書各社との“密室交渉”を行い、検定経過の明確な説明はしていない。
教科書検定制度に対する不信感と課題は残されたままだ。
■「強制」を事実上容認■
今回の検定問題の対象になるのは高校の日本史教科書だ。
検定審は「軍に強制された」といった記述に「誤解のおそれがある」として検定意見は撤回しなかったが、「住民の側から見れば、自決せざるを得ない状況に追い込まれたとも考えられる」として、集団自決の背景を書き加えることを条件に「強制」を示す表現を事実上容認した。
ここで注目したいのは検定審が「住民側から見れば…」との基本的考え方を示した点だ。
「考え方」は、「軍の命令が確認できないから、軍の強制は認められない」という検定意見は、住民の視点が欠けていることを認めたものだ。
しかし、そもそも今回付け加えられた住民の視点は、検定意見が否定した従来の歴史研究の通説に立場が近い。「捕虜になるな」という教育を受け、「いざというときに」と軍が手りゅう弾を配ったなどの事実があれば、直接的な命令の有無を超え「軍の強制」があったというものだ。
にもかかわらず、当初の検定意見を崩さない姿勢は理解し難い。
■審議の透明性高めよ■
それにしても一連の教科書検定の経緯には不可解な点がある。
たとえば山川出版の当初の申請本はこう記述していた。
「日本軍によって
これが訂正で「日本軍によって壕を追い出されたり、あるいは集団自決に追い込まれた住民もあった」となった。申請本とうり二つで、何のための検定だったのかということになる。
検定審日本史小委員会は訂正申請を受け7回の会合を重ねたという。だが、当初の検定審議はわずか3回で記述を削除させた。いかに粗雑な審議だったかが露呈される結果になった。
検定審の審議はさまざまな圧力の影響を受けないようにと非公開で行われ、議事録も公表しない。
だが、考えてみたい。教科書が民間の著作物なのは、多様な記述を期待するからで、国の誘導があってはならない。今回の訂正申請で検定審と各社が行った“密室交渉”のようなことがあれば検定への不信感はぬぐえない。すべての審議の過程で透明性を高める抜本的な改革が必要ではないか。
今回は「軍の強制」との記述は認めないが「関与」「心理的強制」は容認するという灰色決着だった。文科省、検定審はメンツにこだわるあまり、制度の足元を見失っては困る。
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